ロミオとジュリエット
このジュリエット姫と、ロミオの物語、それにまさるものがまたとあるであろうか?(P.206)
たくさんあります。間違えなく。というかこれは本当に悲劇?
ブラックユーモアという意味での恋愛喜劇ちゃうのかい。
いがみ合う家に生まれた男女の恋愛が難しいって状態だったのはあえて認めよう。(その割にはかなり無茶な逢引しまくってるけど)
なので、ジュリエットが
たった一つの私の愛が、たった一つの私の憎しみから生まれようとは!(P.55)
まぁ、こう独白するのもいいだろうし、家に属している状態からの脱却という意味で
名前が一体なんだろう?私たちがバラと呼んでいるあの花の、名前がなんと変わろうとも、薫りに違いはないはずよ。(P.64)
という独白もいいだろうさ。んでだ、このあとは喜劇じゃなねぇかとか思うのは、ロミオ君がジュリエットの血族をぶっ殺して、死罪は免れて住んでいる市からの追放になったあとだ。
ヴェロナの外に世界はありません、どこもすべて苦界、煉獄、いや、地獄そのものなのです。ここから追放されるということは、世界中から追放されるということであり、世界中からの追放は、結局死なのです。(P.123)
正直笑った。金持ちのボンボンが親の金あてに出来なくなるってだけだろうが。むしろ、愛を成就したいなら、市中追放をいいことにジュリエットをさらって出てけばいいだろうさ。そういう努力はしないのかい。
挙句に、ジュリエットちゃんも
なにもかも駄目になってしまっても、まだ死ぬことだけはできるわ。(P.151)
そんなに思いつめるなら、手に手をとって、ヴェロナ脱出を試みればいいでしょうが。逢引の数々を見る限りにおいてはトンズラし放題でしょう。
シェークスピアの作品はおおむね嫌いではなかったんだけど、これは読み返すとどうもなぁという感じがする。結局、こういうことが言いたかった喜劇なんでしょうねとかうがってみてしまう。
愛はすべからく適度にするがよい、生命長い愛はみなそうだ。(P.98)