科学史の逆遠近法―ルネサンスの再評価
何よりもまず、当該の人物、当該の出来事、当該の科学理論などを、当該の時間において当該のそれらを包み込んでいる全体的な文脈のなかに定位し、把え切ることを目指し、それに徹すべきでなかろうか。(P.48)
日本の科学史・科学哲学に大きな影響力のある村上氏の代表的著作の一つ。いわゆる相対主義的な科学館に関して非常に良く知られていて、いわゆるメタ科学の学問ジャンルを多くの人に知らしめた功績は大きい。
とはいえ、今現在、この相対主義に関しての誤解が広まってしまったせいかある面において罪も少なくない。そのうちの一つは、科学に特権的地位を与えるのは必ずしも良くは無い、と言う考え方である。僕自身も、この考え方は是としている。(昔書いた「相対主義的科学教育の勧め」など。)
だが、今現在は少し違うスタンスを取っている。それは何かと言うと、科学は結果として特権的地位を得ているという事実を認める必要があるということと、その特権的地位がなにゆえ成立していて、その特権的地位を失う条件はなんなのかを、しっかりを考えた上での、科学のみが人間の知的活動における特権的地位を持つ必要はない、と言う主張である。
ようはこういうことを考えないで、短絡的に「科学なんて宗教と一緒さ。だから無駄なことを考えるのはいやだね」とか、「科学なんて人間疎外の原因さ。だから科学なんて学ぶだけよくないのだ」とか言う主張をする輩が異様に多いのだ。そういうやからの主張に、科学における相対主義を持ち出されるようになってしまい、その主義だけが科学を理解する唯一正しいもののように持ち出す輩が余りにも目立つ。
当然、村上氏だけのせいではない。本書を丁寧に読めば判るだろうが、そんな議論に村上氏は組する気もなければ、丁寧な論証を行っている。それでも、日本において、メタ科学=相対主義という図式を広げすぎた罪は少なくないのではないか。
こんなことを思うのは、やはり、あまりの科学軽視による、似非科学の横行など自分の子どもを見ていても心配なことばかりなのだ。やはり、しっかりとした科学知識や科学についての見方は持ってもらいたい。と、同時に、科学はやっぱり人がやることなのだから、どんな時代においても、科学者は人であって多面的なものであるという当たり前のことは忘れないで欲しい。こんな程度で当惑するようなやわな、精神を持たない育て方もお願いしたい。
そういう意味でも、適切な教員向けの相対主義解説を村上氏にしっかりと一度書いてほしいものだ。それだけ影響力があるのだから。
ニュートンが、近代科学の成立と発展にとってあれほど大きな役割を果たしたと考えられている人物であるにもかかわらず、その「物理学」的な側面へ割いたよりも遥に大きな時間と努力とを錬金術に割いていたことが、今日の人々をいたく当惑させる(P.178)