風姿花伝

色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける(P.57)

この本を買った理由は結構くだらない。岩波文庫の青の1-1といういわゆる一番の本だからだ。ふーんと思うかもしれないが、意外と、こうした歴史の古い新書、文庫でナンバリング一番というのは案外と手に入らない。そういう意味では、こんな平成の御世にまで手に入るというのは驚くべきことだと思う。
で、さすがに、長い歴史の中で耐え抜いている本だけあって、何度読んでもその時点の自分に役立つ視点がある。

例えば、今年の自分のテーマの鈍になる、というのは結局

稽古は強かれ、諍識はなかれとなり。(P.11)

ということなのだ。争う心を起こさず、自分の専心すべきことの準備を怠らずやり続けることである。
なぜなら

一切、みな因果なり。初心よりの芸能の数々は、因なり。能を極め、名を得ることは果なり。しかれば、稽古するところの因おろそかなれば、果を果たすことも難し。(P.106)

という、当たり前の因果律。ただ、少し気がつくのが遅かったなぁと、不安になるのは、20代から30代前半に、

人ごとに、この時分の花に迷いて、やがて、花の失するをも知らず。(P.17)

と、おごってはいなかったか、そして、今時分に

この比は過ぎし方をも覚え、また、行く先きの手立てをも覚る時分なり。(P.19)

となっているのだろうかと。もっとまめに読み返せば良かったかな。とはいえ、今からでも

芸の嗜みは疎かにて、非道のみ行じ、たまたま當芸に至る時も、ただ一夕の見證、一旦の名利に染みて、源を忘れて流れを失ふ(P.69)

と、ならぬよう、また慢心を捨て、同業者には

上手にもわろき所あり。下手にも、よき所必ずあるものなり。(P.49)

という姿勢で、お客様には

目利かずの眼にも面白しと見るように、能をすべし。(P.73)

という姿勢で、頑張らねば。自分の本業に専心して

物数を尽くし、工夫を極めて後、花の失せぬ所をば知るべし(P.74)

となるように。ただ、その努力と出来るようになった芸をひけらかすのではなく

秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず(P.103)

という心も、大事しないと。人生残り少ないなぁ。あせって頑張らないと。