柳田国男全集〈8〉
学問が学問として認められるためには、自ずからいくつかの条件を満たさなければならない。(P.685、解説)
書籍の中の個々の内容よりもこの、科学としての人文科学を確立しようという気迫みたいなものが全編を通じて漲っていることに驚く。内容としては、昔話というものを如何に見るかということを、丁寧に論説した3つの専門書を一冊にしたもの。
非常に丁寧に、昔話というものの本質に迫る内容は、時にくどい感じがするが、証拠を大切にわかることのみを論じようとする姿勢は、自然科学屋としてはとても好感が持てる。変な思想や独断を出したがるいわゆる文系学者の皆さんには少しこういう姿勢を見習ってもらいたい。
個々の昔話についての諸論考をどうこうする時間がないので、以下に抜書きメモだけ残す。
神話という言葉を、このごろ政治家や社会評論家がしきりと使うようになり、それが少しばかり私たちが思っているのと意味がちがう(P.9、口承文芸史考)
二種の文芸の最も動かない堺目は、今でいう読者層と作者との関係、すなわち作者を取り囲む看客なり聴衆なりの群れが、その文芸の産出に干与するか否かにあるように思う。(P.27、口承文芸史考)
明治以来の世にもてはやされた伝説などは、読書の洗礼を受けぬものはないと言うも過言でない。(P.32、口承文芸史考)
笑いは刃物以外の最も鋭利な武器であって、これによって敵を悄気させ、味方を元気づける力は大きなものであった。(P.43、口承文芸史考)
グリム兄弟の蒐集以来、説話はただ家庭の火と揺籃との中間において、培養せられたものと考える風が盛んであった。(P.72、口承文芸史考)
昔話零落の主たる原因は、書物の進出でもなく、時間の欠乏ではなおなかった。(P.100、口承文芸史考)
(昔話に含まれている)教訓というのが、どこの土地へ行っても人真似をするな、やたらと人を羨むなと戒めたものばかり(P.165、口承文芸史考)
国々の分類案が、将来もなお幾つとなく競い進むことを期待している。(P.171、口承文芸史考)
こういう小さいことを詮索している者を、批難する気風ばかり今日は盛んになって来たが、私たちに言わすれば、それだから国民に夢が乏しくなったのである。(P.182、口承文芸史考)
文芸から人生を経験しようなどとするのは欲が深すぎる。(P.192、口承文芸史考)
何のために昔話を集めるのか、集めてそれをどういう目的に、利用しようとするのかを、明らかにしてかかる必要を感ぜずにはいられません。(P.213、昔話と文学)
中古以前といえどもなおかつ成長し、またそれぞれの時と処とに応じて、次々変化するものが昔話であって、書冊のたまたまこれを保存しているものも、その単なるある一つの段階を代表するに過ぎなかった(P.303、昔話と文学)
昔話はこの通りに、時々別な話をよそから借りて来て、後へ繋いで面白味を新たにする技術であった。(P.547、昔話覚書)