ニールス・ボーア論文集〈1〉因果性と相補性
ボーアは、たった一人で、伝統の乏しい小国デンマークの首都に世界的な理論物理学のセンター(現「ニールス・ボーア研究所」)を作りあげた。かつてパウリが言ったように、コペンハーゲンは「原子物理学の首都」であり、ボーアの研究所は世界中の志ある若者を惹きつけ、世界各国の指導的物理学者を輩出したのである。(P.3、訳者序文)
自称、日本のデンマークに住んでますけど、こんな研究者を生み出す懐のある地域ではないわな。残念ながら。ま、その上俺はこんな素晴らしく地域を変えるボーアには成れませんね。
量子力学の哲学をマジメにこなしたいヒトには必読の論文集であります。在学中に買っただけで読んでないような、ワタクシメはやはり世に出てインチキくさい実業とも虚業ともつかない商売をやっているほうがむいとるわい、という気になります。
それにしても、コペンハーゲン学派ほど世に誤解されてるものもないなと思います。
このような見解が真の科学的精神とは相容れない神秘主義を宿しているように見える(P.121)
と、一生懸命誤解を解こうと頑張っておりますが、結局一般大衆には誤解されっぱなしのようで、以下のような認識上の陳述に誰も目を向けてくれなかったりします。
以下はちょっと専門的に興味があって抜粋したので解説しませんけど、これ読んであー、そうそうといえるぐらい勉強してから、量子力学の哲学的側面を語りましょうね。
現象にたいしても観測装置にたいしても、従来の物理学の意味における独立した実在性なるものを付与することはできなくなる。(P.21)
ある物理量の値について、ただ単に無知であるだけではなく、それらの量を一義的に定義することさえも不可能なのである。(P.111)
すべての混乱は、「観測による現象の擾乱」というような言辞から発生するのです。(P.183)
現象という言葉を、もっぱら、実験設定全体の記述をふくむ、特定された状況のもとで得られる観測を指すことにのみもちいられるべきであると提唱した。(P.267)