世界の名著1 バラモン教典/原始仏典
自ら心に打ち勝ったものにとって、心は自己の友である。しかし、心に打ち勝たないものにとって、心は敵のように反抗する。(P.165、バガヴァッド・ギーター)
まぁ、インドの哲学書の編纂されたもの。中央公論社が編纂した優れた名著集である「世界の名著」の第一巻。なんかこの辺の時代の哲学書はオカルトに引用されがちだけど、比喩が時代にそぐわない神話的なモノだというだけであって、その論旨は今の時代にも通じる結構普通の論旨だったりもする。
善行によって人は善くなり、悪行によって悪くなるのである。(P.65、ウパニシャッド―神学的対論)
こんなのは、とことん当たり前だし、
まず最初には善いことばを。第二には正しい理を語れ、理に反することを語るな。第三には、好ましいことを語れ、好ましくないことを語るな。第四には真実を語れ、偽りを語るな(P.450、短編の経典―善いことば)
口から生まれた僕のような人間には、これもとってもよく分かる警句。
理論によって、結果は、その発生以前に(原因のなかに潜在的に)存在すること、原因と(本質的には)異ならないことが理解される。(P.262、不二一元論)
これなんかは演繹の考え方の基礎とも言うべきこと。この時代でその辺を把握していたと言うことには驚嘆するけど、内容そのものにオカルト性はない。
哲学と実修とを、異なった(結果を生ずる)ものとして愚者は語るが、しかし賢者はそうではない。たとえそのいずれか一方にでも正しく専念すれば、両方の結果を得る。(P.163、バガヴァッド・ギーター)
まぁ、この辺は理屈屋が嫌われる日本では通用しない部分もあるけど、結構、学を究めると言うのはそういう側面も実際にある。
この辺はマヌ法典にも登場する。
おまえの関心は行為にのみあり、決して行為の結果にあってはならない。行為の結果を、おまえの動機としてはいけない。また、おまえは無行為に執着してはいけない。(P.158、バガヴァッド・ギーター)
おまえは義務的行為を行なえ。なぜなら、行為は無行為にまさるから。行為がなければ、おまえの身体を維持することさえおぼつかないであろう。(P.160、バガヴァッド・ギーター)
何べん読んでも、そうだよなぁと思える。それに以下は無知の知の現われの変形だよなと。
ほかならぬ思考力である。思考力は実に無限であり(P.62、ウパニシャッド―神学的対論)
無知に耽溺する人々は、/文目もわかぬ闇に陥る。/知識に満足する人々は、しかし、/それにまさるかのような暗闇に陥る。(P.99、ウパニシャッド―自己の探求)
とか評論ばかりだけど、なんかやらんとね。ホントの口先男になっちゃうよな。
たとえ不完全でも、自己の(義務的)行為は、みごとになされた他人の(義務的)行為にまさる。(P.188、バガヴァッド・ギーター)