世界の名著 39 カント

感謝は義務である。(P.620)

うん。良い言葉だ。純粋にいい言葉だと思う。感謝は義務だよ。
さて、僕の苦手なカント。
カントのロジックはいまいちだけど、そこからの演繹で出てくる、社会観とか国家観は個人的には実に見事だと思う。
さて、話を続ける。金払ったから感謝しなくていいとか言うのは間違い。お金は

貨幣とは、人間の労働を相互に取引するための普遍的手段である。(P.420)

でしかないのだから。取引の手段であって、取引そのものではないのだ。むしろ大事なのは

親切を尽くすこと、くわしくいうと、他の人々が困っているときに、何かのお返しを期待したりせずに、自分の能力に応じて、他人の幸福を促進することは、人間すべての義務である。(P.617)

特に、感謝することの義務に対応して、親切も義務。これも良い。でも、何となくこっちばかり強調されるから、人間つらいんだよね。親切もそれに対応した感謝もセットで義務なのだ。それが社会のミニマムセット。僕的には目から鱗である。あと、次世代についても

教育完成ののちに、両親が子供らに期待することができるのは、子供らがその負っている拘束性を、単なる徳義務として、すなわち謝恩というかたちで果たしてくれることだけである。(P.413)

という考えの持ち主。すばらしい。こういう考えに共鳴して、みんなカントに走るんだろうな。それ以外にも、感銘を受けること多数。以下に自分的に分類してメモ。わからんながらに機会を見て精査しよう。

カントの形而上学

ともかく一度、この学問と自称しているものの本性について何か確かなことが見定められねばならない。(P.89)
私は、物自体については、何も知らないからである。(P.176)
経験の限界を越え出て、物自体として経験のそとにある物について、判断しようとしないように教えられる(P.192)

カントの人物観

しかし、こういうこと(哲学上の論争)をやるためには、ぜひ匿名は止める必要があるように私には思われる。(P.218)
徳は経験から習得されねばならない。(P.560)
われわれ自身の人格のうちなる人間性の目的に関しての、自分自身に対する義務は、すべてただ不完全義務である。(P.610)

カントの国家観

国家とは、法の諸法則のもとにおける人間の一群の結合である。(P.450)
ただ、普遍的に結合した国民意思だけが、立法をなしうる。(P.451)
立法者の意思は、外的なもの・汝のものに関することについては、非難すべからざるものであり、最高命令権者の執行権能は抵抗すべからざるものであり、最高裁判官の判決は変更すべからざるものである(P.454)
国民が法的効力をもって最高の国家権力に関して判定を下しうるためには、国民はすでに一つの普遍的立法意思のもと結合されているものとみなされねばならない(P.457)

カントの法律観

みずから与える法則、しかも彼の格率を普遍的立法に属しうるものたらしめる法則にのみ服従するのである。(P.281)
法とは、或る人の意思が他人の意思と自由の普遍的法則にしたがって調和させられうるための諸条件の総体である。(P.354)
権利も義務もともにもつ存在者たちにたいする人間の法的関係。(P.366、唯一存在しうる法的実在関係)