人間機械論 第2版―人間の人間的な利用
私は本書を、人間のこのような非人間的な利用(inhuman use of human being)に対する抗議に捧げたいのである。(P.23)
そうだとすると、タイトルの日本語訳はつけ間違いのような気もするなぁ。でも、ちゃんと読めばそれはそれで正しいんだよな、きっと。
サイバネティクスの最も基本的な思想書。なんだけど、今読むと普通すぎて、何がすごいのやらという感じ。それぐらいこの程度のことすら明示的には意識してなかったんだよね。
それがやるはずの行動によってではなく、実際にやった行動に基づいて制御することが、フィードバック(饋還)と呼ばれるものである。(P.19)
学習は、もっと原始的な種々の形のフィードバックと同様に、未来と過去とへ異なった仕方で対処する過程である。(P.47)
こんなのある意味当たり前だし。だからこそ、
アリをモデルにして人間の国家を作ろうとするファシストの抱負は、アリの本性と人間の本性の両方に対する深刻な誤解に基づいているということである。(P.51)
こういう論点や
このホメオスタシスによって維持されるパターンこそが、われわれ各人の自己同一性の判定基準をなすものである。(P.99)
こういう話になるわけだ。でも、これらの議論の前提が
人が機械に命令を与える場合の状況は、人が他人に命令を与える場合に生ずる状況と本質的にちがわない。(P.11)
という器械としての生命という思想に則っていたりする。
それにしても、
通信文の伝送は人間の感覚と行動能力との範囲を世界のすみずみまで広げるのに役だっている。(P.102)
と言うのはまさに現代の状況。でも、
情報とエントロピーは保存されないので、商品とするには適さない。(P.122)
と入っても少なくとも情報は商品と化したよな。
法律とは、諸個人の行動の間の「結びつき(couplings)」を調節して、われわれが正義と呼ぶところのものが履行され、また紛争が避けられるか、少なくとも裁定されうるようなプロセス(手順・方法)である。(P.109)