世界の名著 18 禅語録

「三歳のちのみごでも答えられるが、百歳の老人もほとんど行なうことはできぬ」(P.450、悪行をせず善行をすることについて、祖堂集、鳥窠)

意外と、禅ってのは普通のことを普通に出来るかという内容がもとになっているんだよね、と思う。年末に読んで来年に備えるにはいい一冊。三歳の乳飲み子でも分かる善行を、来年どうやって行きましょうかねということだ。
でも、禅の本ってのは直訳して読んでると、文字通りだと、魁男塾の世界だよなぁ。なんかあったら、一発殴るっての。やりすぎだってばさ。実際は、あのぼっこで軽く肩を叩くだけなんだろうけど。
とりあえず、自分の来年に必要だなと思ったものの引用。

座禅は心を安定させる手段(方便)である。心を安定させるのは、心が乱れているからである。乱れなければ座禅は無用である。(P.35)
無心と言うは、即ち妄想無き心なり。(P.84、菩提達磨無心論)
他の非なるは我に罪なし、我が非なるは自らに罪有り。(P.143、六祖壇経)
見、師と斉しきは師の半徳を減ず、見、師より過ぎて、方て伝授するに堪えたり。(P.196、臨済録)
聖を愛し凡を憎まば、聖凡の境に縛せられん。(P.240、臨済録)
学者恒沙なるも、一の悟るもの無し、他を訪ねて過在す他の舌頭の道。(P.387、洞山録)
「一日作さざれば一日食らわず」(P.521、祖堂集、百丈)