世界の名著 11 司馬遷

結構こまめに読み返している本。装丁のビニールカバーがこの間破けてなくなってしまいました。珠玉の歴史小説が数十編。史実資料の史記の列伝を捕まえて、小説呼ばわりするのもなんだけど、歴史小説です。それも極上の。ちなみに、本紀と世家は訳出されていないけれど、はじめに丁寧に解説されています。でも、翻訳は結構ライトです。「トップモードの美女」とか「軽やかなステップ」とか「ダンディな帽子」とか、なんとなく不思議なカタカナ言葉が連発します。その辺に慣れてくれば没頭できる歴史小説です。

それにしても、読み返すと、その時々に応じてとっても感銘を受ける本です。

たとえば、日本の個人の資産残高の異常な大きさの本をただせばよく家を富ませるものは国のものをくすねる。(p196)って、ことなんだろうな。だから見事に年金はじめ国家のほうは財政破綻してるし。
上に仕えるものの心構えとして「(君主の誤りに対して)御意に、御意にと申し上げ、君主を道ならぬ行為にふみこませるためでは、よもやあるまい。そういう地位にいる以上、わが身がどんなにたいせつであろうと、おかみを恥さらしにできるものか!(p447)」という気概が重要。昨今の政治茶番劇を見ていると、こういう人はいないんだろうなぁと。
官営事業に対しては、たとえ市場のものよりいいものを身内のものが作っても「一般の百姓や織工たちは、つくったものを売りにいくところがなくなるではないか!(p443)」といって否定する。経済政策のやり方としては「いちばんよいことは、民衆の傾向のままに従うこと、その次によいことは、利益を餌にして民衆を方向づけること、それができなければ説教すること、さらに下策は統制経済、いちばんいけないのは、民衆と経済的にはりあうことだ。(p508)」といって、結構放置してればいいよねというスタンス。
経済活動や蓄財行為は役所の指導・徴発・期限付き命令などによってささえられているものではない。人々がそれぞれ自己の能力に従い、自分の力量を傾けて、望むものをうるので(p509)、一生懸命、経済活動に規制をかけたり権限を握ろうとするより、自由経済がいい。しかしながら、国家の乱れるのは「ああ、利益ということこそ、まことに乱れを生ずる根本要因なのだ。(p158)」というように、利益をめぐるさまざまなことで国民が乱れて国家が乱れる。

と、国家のありようの思索のきっかけになる一方で、最近よく転職相談を受けるなかで、本当に思うのは「君子は絶交したあとで相手の悪口を言わぬもの、忠臣は国を去ったあとで自分の宣伝をいたさぬもの(p211)」というのは、現代の企業社会でも真実。悪口を言う君主じゃないってのは、平社員ってのは君主(社長)じゃないから良いとして、忠臣が自己宣伝しないのは、他社にお引き合わせるときには困ります。

あと、起業して7年ほどたちますが、相変わらず鳴かず飛ばすで、「困窮しているときに、恥をしのんで望みをおさえることができなければ、ちゃんとした人間ではないのだ。富貴の身になって、思いのたけをのばすことができなければ、立派な男ではないのだ。(p349)」といわれると、困窮している割には望みをおさえていないので、いかんなぁと。そして、ものをしゃべる人間としては、常に「まともな勉強をして、いうべきことをいいたまえ。曲がった学問をして世に阿(おもね)ってはだめだ(p461)」という精神だけは失わないように。

最後に、今の自分の迷いを示す言葉として、
一年住むなら穀物をまけ。十年住むなら木を植えよ。百年住むなら徳をほどこせ(p520)
というのは、そろそろ決めたいなと。徳をほどこすとは人を育てること。100年、今住む場所で生き続けたいのかどうかよく考えないと。