僕の妻が本当にすごい理由

いつもSOHO御題の講演をすると、その後の交流会や質問の場面で、一人二人に必ず言われることがある。
子育てをしながら働くということにこだわっているせいかもしれないけど、
「奥さんが働いているから、お金の心配をしないで、そういうことができるんだよね。できた奥さんでいいよね」
という話。

確かに、最後の「できた奥さんでいいよね」はその通りだ。その点に関しては勝手に僻め。あんたの選び方が悪かったんだから。
でも、「働いているから、お金の心配をしないで」というのは、ちょっと待てと思う。基本的にSOHO事業者になってから、うちは相互に独立会計だ。共通のものの支払いとかはお互いに適度に分け合ってやって行くようにしている。なので、大成するまで全部オンブにダッコで食わせてもらうヒモではない。そんな不労所得で好きなことをやろうというような人生はお断りだ。
ただ、本当に厳しい年に、ある程度融通してもらったり、共通支払いをお願いしっぱなしだったこともある。だから、家内のお金をまったく当てにしていないという訳ではないとは思う。

でも、自分の事業を支えさせるために外で働いてほしいと思ったことはない。当然、うちが激しく稼いでも、仕事を続けてほしいと思っている。それは、僕の前のコラムと矛盾するところもあるけど、あくまでも、夫婦云々の前に、それぞれが一個の人間としてきちんと自立して生きていけることが大事だと思うからだ。
なんだか知らなけど、人の家庭崩壊を垣間見る機会が結構あって、そこの悲劇から引き出されるのは、それぞれ自立していない人間の過度な相互依存が話をおかしくする、ということだ。
旦那は家事・育児・地域を家内に100%依存し、家内は旦那の稼ぎに100%依存しているという状態は、何かが崩れるともう狂いっぱなしだ。離婚するときにだけ「女も稼がないとね」なんて言わないで、はじめから稼いでいればいい。また、男も家事・育児・地域をちゃんとやって、どっちかがこけても、ちゃんと家庭が回る力量を持つべきだ。
それぞれがちゃんと稼いで、家事・育児・地域をやって生きていける人間でなければ、本当の意味で相互に尊敬しあい理解しあう家庭なんて出来上がるはずがない。実際に分業状態であったとしても、潜在的にそれがいつでも出来るという状況を保持すべきだ。

これは簡単なようで結構難しい。一度、どちらかがふっと油断をすると、稼ぎ・家事・育児・地域のどれかが自分の仕事ではなくなり、依存状態が始まる。
それに、こんな夫婦、それぞれがそれぞれで生きて好きなことだけをやりだすと、相互無関心になって家庭が荒れ放題になる。まさに、今のヘビーな共働き夫婦はそっちに向かって走りやすい。
それでも、その中で、バランスをとって、そういう夫婦を続けて行く、家庭を続けて行くというのはとっても難しい。
でも、そうして生まれた人間の相互依存ではなく相互連携的な家庭が本当に家庭といえるんだと思う。

僕の妻が本当にすごい理由はそこにある。
うちの地域では、いまだに、家庭は女、稼ぎは男という風土にあって、僕の理想の家庭のあり方は周りには明らかに理解されない家庭のありようだ。たぶん、家内もなかなか理解し切れなかったと思う。それに、周りの目も気になってつらいんだとも思う。(おかげでよく喧嘩もしたし。)
それでも、一生懸命、地域の常識をまったく無視した僕のやり方にきちんとついてきてくれて、そういう意味合いで、フナハシドットコムという事業所のあり方を支えてくれていることだ。

僕が目指すのは、みんなが努力しただけ幸せになれる社会を作ること。妻は、そのための重要な要素である家庭のあり方を、実践を通じて本当に作ってくれる最高のパートナーなのだ。感謝しても感謝したりないぐらい。
金をかみさんが持ってくるからやりたい放題で良いよね的な物言いをされるとむかっと来る。まるで、ヒモになるか食わせるかという二択的発想だ。そんなカネあり方でしか夫婦のありようを量れない心の貧しい生き方の人に、僕の妻を評価してもらいたくはない。

とはいえ、こういうやつを減らすために事業をしてるんだから、ある意味これは良い客なのか。営業して客にして洗脳でもしたほうがいいのかな?