ゆとり教育は本当に悪だったのか
一応、自民党政権下においても、ゆとり教育は失敗だったということで、教育システムを再度改革することになって、いまでも、それに関わる学力低下問題をあげつらうメディアも多い。挙句に、週休二日はゆとり教育の導入での一環だとか、なんでも気に入らないものは、ろくに調べもせずに、ゆとり教育のせいにした報道までまかり通っている。
そんなにいわれるほど、ゆとり教育はダメだったのか、と思う。
実は、ゆとり教育は私が思うに、日本において制度的には最も優れた政策だった、と思っている。確かに実施において、問題点が無かったとはいわないけれど、ゆとり教育を捨てた先に日本の未来は無いんじゃないかと思うぐらいだ。
ゆとり教育を導入された文脈を一度、日本人はみんなで再考すべきだ。私の記憶する限りで行けば、受験戦争の行き過ぎで、受験中心で実社会でまったく役に立たない知識詰め込みが学校社会であまりにも横行し、それが過剰に偏重され、家庭や地域の中でもそれだけが人間の評価基準といわんばかりの教育になってしまったことが大きかったはずだ。そういう人間は、産業でも研究でも独創性が薄く、先進国の新しい産業構造化では戦力にならないという要求があって導入されたものだ。また、地域社会や家庭中での人のつながりも薄くなり、いじめや非行の行き過ぎがあって、家庭・地域のふれあいや、実社会への接点を持ちながら必要な教育をして行こうということが目論見だったものが、ゆとり教育といわれるものだったはずだ。
ちなみに、今のいじめや非行が酷いというが、実は、犯罪統計的に見れば、件数も内容も1980年代のほうが圧倒的に恐ろしい状態であった。大体、爆弾で担任を車ごとを吹っ飛ばしても報道されなかったぐらい、こんなのは日常茶飯事だったわけだ。
当然、産業力においても、暗記や調べ物や書類整理に優れている人間が沢山いても、独創性のある市場開発や製品開発を担える人材が少なく、途方にくれていたわけだ。それの最たるものがバブル時代の各企業の採用スタンスだ。一定割合で成績じゃなくて変な奴を採用しようなんて風潮があったぐらいだ。
もっというと、テストの点数が取れなくても、多角的な基準で人間を見て育成しようということで導入されたはずのものである。多様な個性を伸ばす教育を、学校・地域・家庭・企業でスクラムを組んでやりましょうって話だったはず。
ところが、いざ導入されしばらくたつと、「学力テストの点数が低下した」とマスコミが騒ぎ出した。僕はこの報道をはじめて聞いたとき、馬鹿じゃないかと思った。ゆとり教育はテストの点数を延ばすための教育ではなく、違う価値観で人間を育成するスキームなのだ。点数なんか下がって当たり前だ。
で、驚いたことに、この時点で地域も家庭もみんなで「学力低下は問題だ」と大合唱を始めてしまったのだ。過剰な点数競争状態が問題で、ゆとり教育を導入したのに、「点数=学力」という発想から抜け出せずに、点数が下がっただけで騒ぎ出してしまった。
で、まず槍玉にあがるのは「円周率を3.14ではなく3で教える」というやつ。所詮、3でも、3.14でも近似に過ぎない。どっちだって、所詮はうそんこの数字だ。有効桁数の問題でしかない。10以上で有効桁数が1桁であれば、3で十分なのだ。3.14が正しいなんて数学書どこにも書いていないし、それと学力の相関なんて有り得ない。
インド式の九九が優れているだのなんだのいうが、普通の九九で日本はキャッチアップ型の産業では十分世界をリードしてきたのだ。そんなのは、目先のテストでいい点数を取る技法以外の価値は無い。いわば、ゆとり教育導入時点で否定されたものだ。せいぜい、後進国が先進国に速く追いつくのに役に立つ程度のものだ。
点数が役に立つのなんて、受験や資格試験でいい点を取れる時程度のものだ。
むしろ、ゆとり教育が志向した、地域や家庭のふれあいや、総合的に考える力を実生活の素材を通じて学ばせるほうが、明らかに多くの場面で役に立つ。そんなことも分からないのか、といいたい。
ゆとり教育問題の主犯は、実は家庭と地域だと思う。二言目には学校の勉強は机上の空論で役に立たないといいながら、実際に机上の空論から脱却するために協力ください、と学校側が手を差し伸べて活動を始めたら、突然、今まで役に立たないとなじった、点数が下がったと家庭と地域からバッシングされてしまったわけだ。
この件では、マスコミも馬鹿ではあるが、家庭と地域の責任は大だ。本当の知識社会を見据えることが出来ないで、いつまでも、「知識=覚えること=勉強=点数=他者と比較」と思い込んでいる馬鹿さ加減。知識は生み出すものであって覚えるものではない。生み出すプロセスが科学であり真の学問であって、それを使いこなせることが学力なのだ。生み出さねばならぬ課題が多様である以上、他者との比較はある面で不可能なのだ。
別に、ゆとり教育でなくても良いので、まともな教育システムをいち早く日本ももたないと、未来がかなり危ない。いい加減、学力点数主義の蒙から日本人は目を覚まさなければいけない。