子供の力を信じましょう。で、大人は謙虚になりましょう。

さて、新年度になったので、旧年度の話を一つづつ清算していこうと思います。まずは、安城市次世代育成支援行動計画の後期委員会と保育のお話でも。
昨年度は一年間、安城市次世代育成支援行動計画の後期の策定委員というのやっていました。といっても限りないシャンシャン会議に4回ほど出席しただけですけど。シャンシャン会議になったのは、委員である僕の交渉技量不足でしかないので、決まった内容に不満があっても、自分の責任ですしそのこと自体に四の五の言う気はありません。
その中の議論で看過できない発言が二つあったので、一応、記録に残しておきます。

一つは、
「一般に、保育園の子の方が幼稚園の子と比べて素行が悪い」
という発言です。前後の文脈から言うと、趣旨を噛み砕くと、幼稚園の子の方が親が良く目配りしていて、保育園のこの方は親があんまり目配りしていないので、子供の出来が悪くなるという意味合いです。
さらに彼が労組の代表としてきている事を踏まえると、幾重にも不見識な発言です。
うちの子は、上下ともに保育園でお世話になっております。親としての自分たちが足らずの部分があるとしても、自分の子供たちは素行に問題はまったくありませんし、周囲を見ても昨年度うちの保育園を卒園した子達の素行に問題があるようには見えません。それだけ、保育計画はしっかりしているし、個々の保育園の先生方の努力は並々ならぬものがあります。正直、昨年度末にあった下の子の卒園式の規律正しい運営は感動してしまいました。これだけの事をしっかり出来る子供たちのどこが素行が悪いのでしょうか。園の先生方の努力と子供たちの内在する力でも十分やっていけるのかもしれません。加えて言うなら、地域によっては幼稚園の卒園者で学級崩壊のリーダーになっているような子もいるでしょうし、それは、どっちを出ているかどうかとはおそらく無関係です。
さらに言うなら、労働組合という男女の労働機会の均等化を進めるべき立場の人間が、「保育園が機能不全で幼稚園じゃなきゃダメだ。少なくとも片親は働くな」という命題を裏で前提としている事を意識せずに発言すること自体、どうかしている地域だと思いました。保育の機能充実ではなく、子供は保育園に入れないで母親は会社辞めれということを暗々に言っているわけです。制度をいくら整備しても、こういう発想で地域が出来上がっている以上、「ダメだこりゃ」ってイカリヤチョウスケ風に言ってしまいたくなるわけです。
ちなみに、ぶちぎれて論戦をしようと思ったら、温和な専門家の先生が「それはちゃんと調査した上でデータに基づかないといえる話ではありません。そういう調査はついぞ聴いたことはありません。私の印象ですが、保育園でも幼稚園でもいい園はいい園ですし、そうでない園はそうではないように思います」という一発言で、この議題は終了しました。学術の良識ってのはこういうところで出るんだなと。

もう一つはヒヤバイライトについてです。こっちは、事務局と現場でガチガチ論戦したのでそれはそれでいいのですけど、やっぱり納得行かないのは
「子供の意見なんか聞いたって、おもちゃが欲しいって言うだけだ」
という発言です。
ちなみに、ヒヤバイライトというのは、子供がステークホルダーの法律や計画の策定時に子供の意見をきちんと聞いて作るという考え方です。せっかくだからこれを盛り込もうという話をさせていただきました。件の専門家の先生もこれはよい案なので検討してはとおっしゃってくれましたが、事務局サイドの、先の発言で一蹴されたわけです。
この発言も、おかしな発言だなと思うわけです。大人の意見を聞いたからといって適切な法や計画が今まで出来た例がどれほどあるんだ、といいたかったりします。特定の人だけが得をする意味不明な工事やら助成金やらが誘導されるだけで、ある意味で
「大人の意見なんか聞いたって、お金が欲しいって言うだけだ」
という現実はどうなんでしょうか。
実際にそれに関して適切な事前レクチャーの上で、議論をしていないという問題もありますが、事前レクチャーをしたところで、大人のほうがよっぽど下らない議論をすることが目に見えます。だって、現実の今の社会を見れば一目瞭然。大人がよってたかって意見を出した末路です。
きちんとした事前レクチャー無く欲しいものを言え、というから一見下らない事を子供は言うだけで、きちんとした事前レクチャーをすれば、子供のほうが大人よりよっぽどましな意見を持ちます。

もっと、大人は自分を疑って子供の力を信じるべきです。あんたらのほうこそ意外とたいしたことは無い。自分も含めてですけど。昨年度一年間で学んだことのように思います。