子ども手当ては子供に支給されるべきものだ。

法案が成立した子ども手当ての支給先が穴だらけだという。個人的想いとしていちばん許せないのが、5000人ほどの施設にいる親のない子には支給されないという、アホな用件の作りこみ。基本的に支持している法案なので、とても残念な気持ち。僕自身がこういうSOHOを志向した原因も、こういう馬鹿げた現実を減らしたいからに他ならない。だからこそ、子ども手当てには期待していたのに、こんなことが起こるなんて、本当にがっかりだ。
原因が、支給対象は「子どもではなく親や親類などの養育者」だということ。票がほしいから有権者に金を振り込むんだ、という風に穿った味方をしてしまう。ちなみに、外国居住関連に関する問題も多数発生するらしい。

個人的には、高校の無料化においてどの学校が、対象外かという問題とは根本的に異なる誤った選別の問題だと思う。高校はそもそも義務教育ではない。義務教育ではないもののうち、国家としてプレ大人の進学先のどれが何に資するかという観点で、国家の側に選別の自由はある。よって、支給外の学校が生まれることに問題はない。どこを支給外にするかは、国会で大いに論じてくれればよい。
子ども手当ては、その精神から言って別のものだと思う。というかそう信じて、「そこだけ」は民主党を支持していた。子どもだって国民であり、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を持っている。そんな中で、保護者がなく、それが理由で経済的差別を国家が引き起こすなど言語道断である。ただでさえ、美深育成園創始者の松浦カツさんが「児童憲章を持つ国であり、文化国家として復興しようとしている日本で、なぜ人一人の食費が犬より安いのだろう」と言ったように、今でさえ彼らはお世辞にも、経済面において親がないという理由で「健康で文化的な生活」を送れる事を国家は保証していないのだ。こんな恥ずべき状態の上塗りを改めてするなど、「何のための子ども手当てだ」といいたい。

児童手当をそのままにし、まずは、その対象外になっている子ども手当てをその5000人から、というならむしろ話はわかる。憲法の精神を形にするだけのことだし、少量からはじめて、運用上の問題の洗い出しもできる。そもそも、この5000人はほとんどが厚生労働省が把握している施設にすんでいるのだ。事務処理だって、狂ったように沢山ある個別の家庭を相手にするより、こっちのほうが効率的だ。事務をする自治体の負担もほとんどない。おまけに、財源だって、子どものいる全家庭と比べれば高々知れる。
こんな簡単なことも運用判断できないように投票権を持つような大人にしか振り込めない法律の作り込みをする意味が不明だ。別の本で親への支給制限をかけないことへの色々な奇麗事を書いているが、結局バカ大人には行き渡って、子どもには行き渡らないというわけだ。ふざけるな。

そもそも、どう考えたって、支給要件は「日本国籍を持つ子ども」だけであるべきだ。子ども手当ては子供に支給されるべきものだ。子どもが大人になるのに必要な国家による経費負担なのだ。たぶん外国に住む子どもの問題もそれで解決する。その上で、事務技術上の問題で、具体的振込先と使途制限をどうするかを決めればいいだけだ。

こんな法案を通している時点で、大事なのは「子どもではなく、票を持つ保護者」というわけだ、と穿った見かたをしてしまう。自民党時代の最後の定額給付金を非難した割には、それ並にお粗末な選挙対策バラマキにしか見えません。
そういわれたくなければ、この5000人に子ども手当てと同等の公益を、ちゃんと提供する事を指し示すべきです。出来なければ、ただのバラマキ政権です。あなた方は、自民党よりたちの悪い「子どもを食い物にする最低の政治家の徒党」です。

関係者の反論なり行動なりを期待しています。