愚衆愚民リターン

新政権の仕分けがどこの飲み屋に行っても話題になっております。いろんな切り口で気になっていることがあるのですが、昔書いたこの状況を、国会議員がやっているというのは、どうかと思うわけです。
しかも、その方向性の大半が、カネ減らしの議論でしかないわけです。とにかく幾ら減らしたかの議論ばかりなわけです。そもそも、新政権にお願いしたのは、新しい国の形を作ることなわけです。あんな下らぬ、カネ減らしのためのつるし上げ会の中継なんざをお願いした気はありません。
むしろ、新しい制度と国の形を示して、適切な法令をくみ上げ、それに則って粛々と組織の改廃を行なえばいいだけの話です。それによって自動的にいらぬ財団は消えるし、他方でいる新しい組織が出てくるかもしれません。
あんな下らぬ瑣末な無駄遣いのつるし上げを見せられても、誰も日本の未来像は感じ取れません。それこそ、レベルの低い大人のいじめでしかありません。あんな仕分け作業をやる時間があれば、ゼロベースで国の形を憲法に沿って再設計するのが仕事のはずです。それこそが本来の政権交代です。

おまけに、家庭と企業の財布の論議と、国家の財布の考えは本来全く違うはずです。それを、主婦感覚なぞという幻の感覚で、予算主義のお金を論じていること事態がすでにおかしいし、仕分け対象といわれる大半が文部科学省関連というのは、子どものための政策を打ち上げている政権にしては、ずいぶんと矛盾しているわけです。
子ども手当ては、親の財布に入るから票になるけど、財団経由で子どもの総合的施策を行うのは、未成年への支援で票にならないから払わないとでも言うのでしょうか。そこまで、今の現ナマを有権者に配って票をもらうという単純な図式のこだわるんでしょうか。
というか、有権者もそんなに直に帰ってくる現ナマだけを信じて、公益にお願いした事業で帰ってくる公共サービスを信じられないんでしょうか。信じれる制度にするのに必要なのは、過去の吊るし上げではなく、新しい制度設計でしかないはずです。

新政権にはそこのところを良く考えて、こんな愚行はさっさとやめて欲しいところです。