自立的コミュニティという綱渡り

奥飛騨温泉郷なるところまで旅行に行って、帰ってきて、激しく再開発をしているうちの近所を見比べて、財源的に自立した地域コミュニティというのは難しいなぁと思った。

個人的には、いろいろ不便はあったものの、うちの近隣は結構好きだった。ひなびた駅。家は駅から歩いて40分ぐらい。夏は汗だくになって自転車を飛ばすと15分くらいでつくところ。その自転車で通る風景は、工場地帯を抜けて、田園風景が広がって、ちょっと寂れた商店が困らない程度そろっているという感じ。工場のせいで交通量があったり、若干空気がうすら汚い感じはあるけど、十分、隣近所は少なく、コミュニティに溶け込む努力をすれば生活できる。という感じが好きだった。
子供の頃過ごした北海道の片田舎の数々だって、工場の代わりに違う産業が少しあって、隣近所の人の数は記憶できる程度しかなくて、転校生でもみんなすぐ顔見知りになれて、コミュニティに溶け込む努力をすれば生活できる。という感じなところは一緒。こうやって細々生活していたような気がする。

で、それから、バブル崩壊を超えると、この2地域には如実な差が突如生まれだす。うちの近所は、過剰に人間が流入してきて、田んぼは潰れ、駅は高架になる工事が始まり、ショッピングセンターが出来はじめ、住宅地になり、マンションがバカバカ建設されている。これに全部いっせいに人間が住んだら、もはや昔ながらのコミュニティなんて維持できない。でも、自治体の財政力指数の向上と言う点では、こうなっても自治体としては自立している。交付税なんかいらない。
他方、うちの故郷は、人はどんどん流出し、田んぼは荒地になり、商店街は文字通りシャッター街どころかゴーストタウンに、そして人がすんでいた家々は廃墟にと変貌している。当然、自治体の財政力指数の議論なんてあったもんじゃない。交付税が無いとやっていけない。というか、それでも足りない。

自治体が自立する財源を得るのには、自治体自体の税収が重要。でも、住民は「税金払っている」という感覚は持っている。でも、自治体は金が無いというのが現実だ。それは簡単。納めた金はいったん国やら県が持っていくから。で、それでも足りない分が始めて、交付税やら、助成金補助金になって帰ってくる。足りちゃったら帰ってこない。
自治体の自主自立のためにも、ひもつきの金が嫌だってことになると、自分で金を集めにゃならんということになる。で、今現在、地方自主財源においても大半を占める所得からの課税(=住民税)に関しては、6割がお国が持っていって、4割ぐらいが県と市町村が分け合う格好。で、間接税といわれる消費税は、8割がお国が持っていって、1割を県と市町村が分け合う格好。企業誘致しても、法人税の大半はお国が持って言って、市町村は事業税とか法人市民税をちょびっともらっているだけ。
で、この状況下で、一番自立的財源構造を構築する端的な手法は、住民税を払う人数を増やす方法。つまり、大量の住民を生み出す大工場誘致、ということになる。SOHOによる知業のように雇用をあんまり生まないで、下手をすると、事業税も対した払えないというものをいくら振興しても、すぐには地方財政は好転しない。

が、この方法は、コミュニティの破壊を生む。要は地方ルールを知らない移民を一気に増やすという観点で出来ているのだからコミュニティというソフトウエアはぼろぼろになる。その上、こうした人口を入れる各種の箱やら施設(学校、警察、消防、商業施設、etc...)が必要になり、今まで残っていた歴史や文化や自然を保持することは大変困難になる。じっくり考えて調和した入れ物を構築していくことも不可能ではないが、来る工場はそんなものは待っていられない。生き馬の目を抜くビジネス界で生きているのだ。そんな悠長なことをされるのであればほかに立地する、ということになる。

コミュニティを保持し、自立的財源を確保するというのは、この狭間で、綱渡りをして生きていくということに他ならない。まさに地方自治体、すなわち、議会、首長が、神経をすり減らして進まなければならない茨の道なのである。
これに対する解法は、国からジャブジャブお金を地方に配ってあげるか、財源委譲しかない。ジャブジャブ配るのは無理なら財源委譲しかありえない。しかし、そこはよく考えてもらいたい。地方が地方たりえやすいような、財源の部分をぜひとも委譲してあげて欲しい。
個人的には、法人関連と間接税における地方財源分の比率をグッと上げると、ずいぶん変わると思うのだが。