軽すぎる食

今回の出張では前出の昆布ババアの講演聴いたり岩見沢のドンといろいろと話をしていて、自分の違和感であった「地産地消」とか「食のブランド化」とか「食育」というムーブメントに対してひとつの答えが見えた気がしている。
これらの運動をしている人々の話の多くが(全部ではない!)、あまりにも軽いのだ。食というものへの認識が軽すぎるのだ。食というのは、本来、人間がその地に生きて根付くという意思の現れであり、その意志に基づいた営みのひとつだからだ。その地にあるものだけで、どうやったら生き延びれるかということこそが、食の最も根幹である。当然胃を満たすことも重要だし、場合によっては毒を毒じゃないようにして食べる知恵や工夫だったり、共同体意識をかもし出すための演出だったりしている。
そう考えると、地元の食材をちょっと使った新しいメニューを作ってWebで乗せたり、パンフにして「地元で作った食材をもっと食べてね」とかはあまり意味を感じない。ましてや地元で新しく育てた食材でお菓子を作ってブランドマークつけて「食のブランド化」至ってはチャンチャラおかしい。
その本質に帰って「この地で生きる」ということを教えるのが本来の「食育」であるべきであり最も重要なことだ。それを通じて「その地で生きるための食」が生まれ、それを支持することが「地産地消」につながり、その独自性が「食の地域ブランド」となっていくのである。
東京人に受けようとか、マスコミに受けようなんて馬鹿げたことをやる前に、教える根源がある。いわば「その地で生きる命の輝き(食うほうも食われるほうも)」が、もっとも感動を生む食の姿なのだ。「その地で真剣に生き抜くこと」、これを教えなければ、真の食育も地産地消もありえない。
自己反省を踏まえ、思ったことなので記す。