まちづくりと本道回帰

最近いろいろと地域づくりやら住民参画やらという代物に絡むことが多い。
そういうところに行くと、最近はパラダイムシフトととかもてはやされ、旧来の地域自治やらまちづくりのフレームが問題とされることが多い。旧来の仕掛けそのものが無問題とは考えないけれど、どうもその手の批判を聞くと、「そうかぁ?」と思ってしまう。
根っこには既得権益者への批判があるんだろうが、どうにもこうにも、その矛先の向け方がおかしいように思う。

いわゆる市民には、元々全ての権限があるわけだし、ぶーすか言う前に自分の権限を、適切に行使すればいいわけだ。知らぬ間にその権限をいくつか委譲しているものもあるが、委譲先から取り戻す方法も残っている。言い換えれば、最大の既得権益者だ。

委譲された権限を持ている側も、市民が何もしないで文句ばかりいうと文句を言う。そりゃそうだ。委譲したことをやりたくないから、委譲しているわけだ。そんなもん、市民がやるわけないだろう。そのために、税金を払ったり、サービスを買ったりしてくれるわけだ。

そういう部分を市民と行政やら大学やら企業やらが手を携えて協働とか言うと話は美しいかもしれない。が、ちょっと待ってとか思う。そもそも、お互いが相互に相手のことを考えて、持っている権限を最大限に発揮すればそれで済んでしまう話がほとんどで、いちいち協働だの何だの面倒くさいことをしなくてもいいんじゃないのか。協働のための時間的コストやら金銭的コストを考えたらムダそのものだ。

実は地域づくりまちづくりで大事なのは、全ての地域のプレイヤーが、自分の本業に回帰することに他ならないのではないかと考えている。実は協働による新しいパラダイムなんていらないのだ。ただ、大切なのは、市民も行政も企業も大学も忘れていること。自分の本業と本筋を思い出すだけのことに過ぎない。
新しい地域パラダイム論に浮かされている暇があったら、実は、中学校の公民の教科書でも読んだほうがいいのかもしれない。