さいたま市の一件受けて、市民活動と政治活動と指定管理で思う事。

さいたま市市民活動サポートセンターの件は、チラチラ元指定管理者のセンターのセンター長経験者ってことでお問合せやら見解を聞きたいってのが来ているので、BLOGで書こうかと思います。
ちなみに、元々の僕が運営していたセンターはすでに僕の見解とは違う運営になっていますし、今属しているあらゆる組織と無関係なぼく個人の見解という事だけはご理解ください。


僕の見解の結論は、指定管理廃止まではやり過ぎだけれど、運営者の脇の甘さは否めないって所でしょうか。なんか、センター長時代に議員の皆様を炎上させた奴がぬかすかって感じではありますけど(笑)

■まず前提を。

公共施設での集会の自由等のあらゆる自由な活動を奪う一件だという暴論を見ますが、べつにこの一件はあくまで市民活動サポートセンターという場所での、政治活動を禁じているだけで、調べる限り埼玉県のあらゆる施設で禁じている訳ではないという事は忘れてはいけません。
少なくとも、私も経験がありますが、自由に利用できる市民交流センタースペースと営利、宗教、政治を禁じた市民活動センタースペースのある施設運営でしたので、こっちは禁止だからあっちでやってくれやっていえば済む話でした。
なので、さいたま市の議論は、あくまでも市民活動センターにおける禁じられている政治活動と市民活動の違いは何かという問題に原則限定します。


■で、まずは原典集めが大事。ってことで

さいたま市市民活動サポートセンター条例

さいたま市市民活動及び協働の推進条例 第2条第2号

さいたま市議会会議録 平成27年6月定例会
9月のものがあるといいのですけど、これの「青羽健仁議員」と「遠藤秀一副市長」のやり取り辺りがベースかと判断。

まずはこのあたりをチェックしました。まぁ、条例の類はわりと標準的なかなぁと思います。

準備はこんなもの。ちなみに、次に民主主義のイロハとういうか中学の公民的な話をします。


■まずは税で市民活動が支援される意味を理解しましょう。

まず、税は個人ではできない「みんなのための事をやるためのお金」です。その分配ルールを少しでも公平にという事で、民主主義では皆で議員を選び議会を作りその議会が公平な分配を決めます。それを行政が一元管理して行います。
ところが近年、単純にその仕掛け市民ニーズが2点の理由から満たせなくなりました。一つの理由はお金が足りない。もう一つの理由が希望が多様過ぎて中央管理型のサービス提供では限界が出てきた。という点です。特に、後者において、行政の力では多様性が足りないので、原則として市民が社会問題である公益があると信じている自主的な活動に頼って実現しようという事で税を投入しています。
とはいえ、明らかにご自身の娯楽であったり、極端に対立している内容だったり、民主主義の根幹を揺るがす内容は困るという事なので一定の制限が掛ります。


■次に憲法89条を理解しましょう。

市民活動センターは指定管理であれ直営であれ一定の税は執行します。しかも、公益を目指すして国と独立して自由な活動を市民活動団体が行っています。その団体のためには、そういう場やお金を出す事を憲法で禁じています。それが憲法第89条です。

公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

分かりにくいですが、キモは、「公の支配に属しない」というところにあって、何を持って「公の支配」と呼ぶかで、今のところはこういうセンターの登録基準等を満たす事が「公の支配に属する」という事に憲法解釈なっているそうです。なので、市民活動(=市民の活動)なら何でも税で支援しろという事は認められていません。


■中まとめ。市民活動の2重性

そういう観点から行くと、無制限にあらゆる市民の活動に対して、税を投入できるわけではないんです。要するに、税で支援してもいい、行政用語上の「市民活動」と、元の語義通りの「市民活動」というのがあるということをまず理解しないと議論がごっちゃになります。あくまで、税で運営する以上、市民活動サポートセンター内で「市民活動」と呼ばれるべきはその基準を満たした団体のみになるはずです。それ以外は市民の自主活動とでも呼んでおきましょう。


■で、過去のうちのセンターはどうやっていたのか

えーと、昔センター長をやっていたセンターは私がセンター長をやる以前から職員間の雑談ベースも含めて、宗教活動、営利活動、政治活動の定義をいつも議論していました(たとえば、昔のメモ的BLOG)。それは、市民からも議員からも行政からも常に問われ続けたからです。
僕の中では、自分の政策決定プロセスの研究の一環で、何を持って政治活動と呼ぶかってのはわりと定義は出来ていました(論文:電子会議室を使った自治体の政策形成と「べき乗則」を利用した会議の評価手法について)。
この政策決定プロセスは基本的に政治の仕事で、政策実行プロセスが行政の仕事、と捉えると政策決定プロセスに対して一定の意図した方向に影響を与える活動を政治活動と位置付けていました。政策決定プロセスにおいて何が起こっているのか知りたいとか、ステークホルダーごとの意見はどうかと知るまでの行為は政治活動と位置付けませんでした。
さいたま市市民活動サポートセンターで問題にされている団体は、多分、私が運営しているセンターでは登録されなかったでしょう。でも、そこは丁寧に、何処のプロセスまではOKですよってのは説明して登録いただきました。
例えば、「9条を守る会」はリジェクトしましたが、センターの主旨と立場をしっかり説明して「9条を考える会」はOKにしました。共に学び考えるだけであれば、政治過程に影響を及ぼさないからです。ちなみに、市議を含む議員さんのご挨拶はよほどのことがない限り控えていただきましたし、そういう挨拶が入る会は、原則としてそういう制約を条例で設けていない市民交流センタースペースで行って頂きました。
そういう、全職員が根っこまで行政上の「市民活動」とこのセンターで支援できる「市民活動」を常に議論して理解を深めていたので、またそうすることで、行政や議員の方にも煙たがられつつもシッカリと指定管理により市民活動の育成ってのは有効だという理解は進んでいたはずです。


■議会というものと行政の関係の本質

市民活動支援をしてきた立場で言うなら、やはり、市民活動のサポートは本質的に指定管理者が議員の皆様に煙たがられてもやるべきです。基本的に市民が議員に苦情を伝え議員がストレート(もしくは議会を通して)に市役所に苦情を言って、些末な問題をなおすという構図はどうにもなりません。しかし、こういう事態が、はじめの問題、「税と中央集権での公益」の限界の二つである、資金不足と多様性の不足を生んできたはずです。こうならない防波堤になるためにも、市民活動を市民の側に寄ったある程度独立した組織が担うべきです。
あと、なぜだか本能的に議員の人々はこういう組織を介在させることを好まないものです。なので、隙あらば、指定管理制度を無くすか、指定管理者を自分の息のかかった相手にしたいと思っているものです。こういう緊張関係下で、さいたま市市民活動サポートセンターのような、あんな分かり易いチョンボをしていては「脇が甘い」と言う以外ないかと思います。9条の会も反原発も政策決定プロセスに載っている話題に一定方向の影響力を出そうとしている以上、政治活動であり市民活動センターの条例や市民活動の推進条例の第2条第2号には確実に引っかかってアウトです。こんなあからさまなアウトを、柔軟な運営とか言ってやってはいけません。
(うちは別の施設で条例に書いていないに気が付かず風紀のために導入していた飲酒禁止を共産党様の答弁で廃止にされたことがあります。むしろ僕は大喜びでしたし、この時は指定管理廃止にまではなりませんでしたけど。)
友人とリジェクトした相手の違いを明快にかつ深く解説できないなら、そこは憲法や条例に忠実に寄り添うべきです。税が入る以上はそこはしっかりその意味と意義を理解しなければいけません。

指定管理は重要だけれどそういう緊張関係をしっかり理解して、指定管理者は短期的に特定の市民を敵に回しても、設置条例や法令をしっかり理解して襟を正すところは襟を正す必要がある、という事だけは忘れてはいけません。それを怠ったんだからそれはしょうがねぇだろって。むしろこの失点を確実に直営まで結びつけた議員の戦略勝ち、ということでしょう。


言いにくいけど、その議会にいる議員を選んだのも市民の皆さまなんですからね。一事が万事で暗黒市みたいなものいいだけはやめたほうがいいと思うんだな。それこそ市民の皆さんに失礼でしょう。ま、直営でもいいセンターってのは結構あるし、直営でもう少しそういうお作法を覚えてから、指定管理にしてもいいでしょうし。もう少し気を長くして見守りましょうよ。