杞憂は杞憂でしたが、見逃したものは少なくないな

およそ6年ほど前に「子供のことは気にならないの?」みたいなことを書いたわけですが、最近、これは杞憂だったなと安心しております。
というのも、上の子の世代が小学校からいなくなって、下の子の親世代だけになって驚いたのは、学校行事の親のマナーが想像を絶するぐらい上がりました。とくに、参観日の親の私語が抹消された(多少いても、私語をするほうがマイノリティ)のは、もうてきめんに分かります。本当に、上の子の時代に騒音計で計測しておけば良かったと思うくらいの変わりようです。
当然、運動会も学芸会もここで書いたような状態だったんだけど、若干のカメラなどはあるけど、後ろの席の人に配慮して、三脚をどかっとすえつけたり前列をウロウロする輩とかは激減している。これも、本当に日本野鳥の会にでもお願いして、視界をさえぎるほど高く掲げられたカメラの数をカウントしてもらっておけばよかった。

何をどう見ても、この世代の親のほうがよっぽど人としてしっかりしていてマトモとしかいえない。
結論として思ったのは、この世代は自己の欲求より周りの迷惑に配慮する世代なんだなと。要は、ポストバブルってやつです。上の子まで、バブル時代を過ごした人々が親のマジョリティだったってことではないかと。
良い言い方をすれば、上の子の世代の親御さんは自分の欲求にわりと素直で、それを達成するのに周囲に多少の軋轢を与えても気にしないので、ガシガシと写真の発注も出来れば、私語も気にならないし、身勝手に見える写真撮影もOKな分けです。
で、下の子の世代の親御さんは、まずは周囲へのご迷惑が優先されるため、写真発注ぐらいではアクションをおこすよりちゃんと我慢をし、授業に悪影響が出るような私語はちゃんと慎み、後ろの席の人が見えなくなるような無茶な撮影はしないわけです。

当然、蛙の子は蛙ではありませんが、その親に育てられた世代としての子供たちという集団はそのように出来上がるわけです。
下の子のことばかり心配していたけど、なるほど、正しく世の中のサインを見逃さなければ、心配すべきは上の子だったと言うわけですね。いまさら悔やんでもわりと仕方がないわけです。

さてはて、私の学びばかり深まってもどうしょうもないわけですけど。